戦後焼け跡からの出発~永谷70年のあゆみ~
1945
昭和20年
上野ガード下に手荷物預かり所を開業
当時の店構えは戦後の原風景を捉えた写真集、スケッチに多く見ることができる
不動産の仲介・斡旋を主軸に展開
1957
昭和32年
武蔵野市吉祥寺御殿山に永谷不動産開業
1958
昭和33年
武蔵野市中町に建設第1棟目、
三鷹第一アパート建設
1959
昭和34年
永谷不動産を解消、
永谷商事株式会社を設立
昭和40年代マンション建設・分譲の先駆け
1964
昭和39年
第1棟マンション武蔵野マンション
武蔵野市中町に企画・建設
1965
昭和40年
永谷産業株式会社(のちに永谷地所株式会社と改称)設立
上野営業所開設
1966
昭和41年
日本高層住宅協会(平成13年(社)不動産協会と統合)設立に関与、加入
発足時は12社
1968
昭和43年
武蔵野建物管理株式会社(現永谷建物管理株式会社)設立
1969
昭和44年
㈱永谷建築設計事務所を設立
民間初の15階建て(43年/目黒区)、先駆的なワンルーム(47年/港区)東洋一の戸数(48年/中央区)等、大規模、かつユニークなマンション建設・分譲で話題を集める
首都圏マンションランク前年度2位から1位に
1973
昭和48年
この年12棟のマンションを分譲。法人所得ランキング日本の会社ベスト535位
永谷地所株式会社
吉祥寺営業所新宿営業所開設
以降、西新宿日本橋等、都心の要衝へ展開、最盛期には10営業所を数える
1978
昭和53年
永谷地所株式会社を株式会社永谷と改称
不動産スペースの有効利用、多角経営にのりだす
1980
昭和55年
週単位で利用できる催事場第1号鴬谷スペース1が鴬谷タウンプラザにオープン
以降も分譲マンション1階を中心に貸店舗・貸教室を展開。都内に各30タイプを数えるに至る

電話秘書をサービスとしたレンタルデスク永谷オフィスを新宿に開設
以後、六本木、日本橋へも展開
1981
昭和56年
これまで竣工した95棟の延べ面積が33万㎡に達する
年度別マンション売り上げ高が100億円を突破
1982
昭和57年
賃貸飲食店事務所複合ビル上野広小路永谷ビル竣工
100棟の節目を迎える
昭和59年 広報・広告のクリエイティブ部門として株式会社永谷企画設立
1985
昭和60年
永谷地所株式会社を不動産営業に重点を置いた新会社として復活
空間を通じた人との繋がり、文化発信の事業へ
1990
平成2年
両国永谷ホール(現お江戸両国亭)オープン
寄席復活の期待にNHK「ニュースセンター9時」に取り上げられる
1991
平成3年
武蔵野市南町に吉祥寺永谷ホールオープン
1階がダンス・バレエスタジオ、2階が会議室の地域密着型ホール
1992
平成4年
新宿永谷ホール(愛称ミニホール新宿Fu-)オープン
プロダクション人力舎、マセキ芸能社ほか、お笑い芸人の登龍門的存在に
1994
平成6年
お江戸日本橋亭オープン
演芸・邦楽等、伝統芸能の公演、稽古を主眼とした初の本格的演芸場
後のお江戸上野広小路亭とともに、事業の中心的な発信基地となり、ツアー企画「歴史と文化の散歩ラリー」、演芸場ならではの「お江戸演芸・邦楽スクール」などが話題となる
永谷建物管理株式会社が労働大臣より障害者雇用の実績に対する表彰を受ける(平成8年には同じく高齢者雇用の実績に対し表彰を受ける)
新たな空間利用の可能性を追究
1996
平成8年
お江戸上野広小路亭オープン。落語、講談、浪曲、義太夫ほか協会規模の定期公演会場として親しまれる
仕様・設備ともに本格的な西荻窪ダンススタジオオープン
2002
平成14年
お江戸上野広小路亭、お江戸日本橋亭での公益社団法人落語芸術協会との共催公演「定席」がそれぞれ「文化庁芸術団体重点支援事業」「文化庁芸術団体人材育成事業」の指定を受ける
2005
平成17年
広小路亭が台東区の文化振興事業「したまち台東芸能文化」に参加
2006
平成18年
創業60周年
永谷地所株式会社、永谷建築設計事務所などグループ会社を統合、株式会社永谷・永谷商事株式会社・永谷建物管理株式会社の3社体制にて「第2創業期」スタート
2008
平成20年
銀座永谷ビルに「永谷カルチャースクール」開講
民俗学、書道など日本の伝統文化振興の場として展開
2011
平成23年
東日本大震災復興を願うチャリティ公演を日本講談協会と共同開催
お江戸日本橋亭(4月)、新宿永谷ホール(5月)
2012
平成24年
新宿永谷ビルに
多目的スペースダンススタジオ新宿Fu-+
フリーサロン新宿Fu-+オープン
吉祥寺永谷シティプラザに
「ギャラリー永谷 吉祥寺」オープン
新たな空間利用の可能性を追求